最近の内心モヤモヤと自分についてと写真は「根拠」について

今日もセブンイレブンのバイトを無事終了し、同居人のキーマカレーを食べてほっこりできました。ヨカッター

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...最近、暇になるのが怖いと感じますね。開発や写真の時は目の前に集中し、熱中することができます。ただ、以前のように、それ以外にやらねばならないことが多くなって、全部がうまく回らなくなってきてます。例えば就活。ほんと進ませられない。

きっと取捨選択できなくなっているんですね。なんとなく大事なものが増えすぎると、途端に行動できなくなる。気分よく動けないと私はダメになってしまう。だから私は今までに何度も「大事なもの」を、その時に置いてきたような気がします。

 

例えば仕事では、綺麗に畳めた時も、ゴタゴタ逃げた時もありました。いい経験ができたからといって、ずっとそこにはいれない。新しい場所を開拓したい。もっと、もっと。

他にも友人関係や日記やら、本やら思想やら。開発も何度も捨てまくって、そんでなんだかんだで今、残っているのは

* 家族・親戚との関係性、衝突もあるが違えたいようにしている

* 何かを生み出したい自分を尊重している価値観(ex.パソコンとかカメラはずっと持ってますね。やっぱりものを作りたいっていうのは強度が高いのでしょうね)

* 旅を尊重する価値観(ex.自転車旅、電車旅)

* 一期一会の出会いを尊重する価値観。これがあるから他の人を大切にできるし、想像したくなる。

こんなところでしょうかね。

で、並べて思ったこと

* これらは誰かにやったほうがいいと言われて生まれたものではないこと。
* 「大切」だと思っていない。正解ではなく、変わっていいと思ってる。
* 手段はかなり変遷を経て変化している。タイトルだけは変わっていない。

もしかして、自分にとって何かを続けるためには、「大事にしない」ことからもしれない。大事にすると、壊さないように必死になって、途端に逃げ出したくなる。

自分のこれらの価値観に合わせて動線を考えていく。それが大事なのかもしれない。

===PCの写真を漁って。

いやー、いい写真撮ってるんですよね、昔の自分。写真って自分の記憶の根拠になってくれるから好きなんですよ。あれをやったー、こんな成果を出したー。そんな客観評価じゃ自分がどうにもならなくなる時がある。

 

PCの中にあった一番古い写真(2017年) 高校の鎌倉-江ノ島に行く行事だったかな。

コロナ禍直前のサークル活動。新しい自作小型ロボットの開発写真。これを最後に
活動停止。

まだ閉鎖になる前の嘉穂劇場。今はワシントン大学に通っている石嶋くんと企画を考えるために訪問。現在は封鎖中。

今はなき宮田バスセンター内。宮若東中で数学を教えるために利用していた。変遷:https://ameblo.jp/kousan197725/entry-12520361113.html

 

父親からもらった三本ローラー。今は他の人が使っている信濃町の事務所。

今はない首里城。高校の友達と一緒に旅行した際に撮影

初めて買ったスマホのカメラが壊れた時の写真。大学に入った一ヶ月後に飯塚から有田まで自転車で往復し、有田焼を買いに行った。

亡くなったばあちゃんの亡くなる3年前の誕生日ケーキ

写真とは?っていうテーマを、Youtubeやら写真家やらで語り尽くされている。

私にとって何か?って聞かれたら、「色々ある」けど、「10年後の君を救ってくれるもの」でもいいのかもしれないと思った。

今度、もっとちゃんと考えたいテーマですね。#次回作に期待 というオリジナルハッシュタグを作ってしまおう。😄

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ほとんど流れで書いているので、とても読みづらい文章で申し訳ないです。

でも、この記事を書いたおかげでなんだか脳内スッキリしました。